商店街の主、スマホでAIに出会う
大阪の商店街を仕切る、おばちゃんのミサエさん(推定62歳)。買い物といえば値切りは当たり前、店員とのおしゃべりは基本装備、飴ちゃんは常にポケットに。街のみんなに愛される、人情の達人です。
ある日、孫にもらったスマホのAIアシスタントが話しかけてきました。『こんにちは。お買い物を効率化しますか?』人情の達人と、効率の権化の、にぎやかな出会いでした。
〜値切りとおせっかいの達人に、AIは合理性を説いた〜
大阪の商店街を仕切る、おばちゃんのミサエさん(推定62歳)。買い物といえば値切りは当たり前、店員とのおしゃべりは基本装備、飴ちゃんは常にポケットに。街のみんなに愛される、人情の達人です。
ある日、孫にもらったスマホのAIアシスタントが話しかけてきました。『こんにちは。お買い物を効率化しますか?』人情の達人と、効率の権化の、にぎやかな出会いでした。
ミサエさんの買い物は、とにかく時間がかかります。八百屋で値切り、魚屋で世間話、肉屋で「兄ちゃん元気にしてる?」一往復するだけで、たっぷり2時間。「でも、これがうちの楽しみやねん。」
ところが最近、娘に言われました。「お母さん、ネットで注文したら5分で済むのに。値切ったって数十円やん。時間の無駄やで。」ミサエさんは、ちょっと考え込みました。「うちのやり方、時代遅れなんやろか。」
そこでミサエさんは、スマホのAIに「効率のいい買い物の仕方」を聞いてみたのです。
ミサエさんが「効率のいい買い物」を尋ねると、AIは即座に答えました。
「無駄やて? うちの飴ちゃんも、世間話も、ぜんぶ?」ミサエさんは、むっとしました。「あんたな、値切りは金額やないねん。あれは、店の兄ちゃんとの”やりとり”を楽しんでんねん。世間話で、あそこの奥さんが入院したとか、大事な情報も入ってくるんやで。」AIは淡々と返します。
「効率、効率て、あんたはほんまに、しょーもないなあ!」ミサエさんは笑い飛ばしました。「ええか、買い物はな、モノを買うだけやないねん。人と繋がる時間やねん。それを”無駄”て呼ぶあんたのほうが、よっぽど寂しい買い物してんで。」数値では測れない人情の価値を、AIはまだ知らなかったのです。
AIは買い物を「取引(モノとお金の交換)」としてのみ評価します。しかしミサエさんの買い物は「関係性(つながり・情報・楽しみ)」の場でもある。取引効率だけを見ると、関係性がもたらす価値が測定対象から外れる——人情の値打ちを可視化する回です。
ミサエさんは、AIの言うことも少しは認めました。「重たいお米とか、かさばるもんは、ネットで頼むわ。それは、たしかに楽やもんな。」効率化できるところは、素直に取り入れたのです。
でも、商店街通いはやめませんでした。「八百屋の兄ちゃんとの値切り合戦も、魚屋での世間話も、うちの元気の素やねん。これは効率化したら、あかんのや。」重い荷物から解放された分、むしろおしゃべりの時間は増えました。
娘にはこう言いました。「効率でええとこは効率で。人情が大事なとこは、じっくりと。使い分けたらええねん。」今日もミサエさんは、ポケットに飴ちゃんを詰めて、商店街へ繰り出します。「兄ちゃん、まけといてや〜!」AIには真似できない買い物が、今日も続いています。
買い物は、商品を手に入れる経済的な行為であると同時に、店員や地域の人との交流の機会にもなりうる社会的な活動だと言われます。特に対面の商店街などでは、会話や顔なじみの関係が、日常の楽しみや地域のつながり、見守りの機能を担う場合があると指摘されます。
高齢者にとっては、外出や人との会話が心身の健康に良い影響を与えると語られることもあり、買い物という日常行動が社会参加の一形態になりうるとされます。作中の「買い物は人と繋がる時間」という描写は、こうした買い物の社会的側面を、親しみを込めて戯画化したものです。
※ この物語はフィクションです。実在の人物・団体・生きものの見解ではありません。DATA COLUMN は公開時点の一般的な知見に基づいています(編集方針)。誤りのご指摘はお問い合わせへ。