Craft・職業・伝統 EPISODE 76

秘仏、AIに「33年に一度の公開は機会損失です」と常時公開を勧められる。

〜市場規模は正確に試算された。ただし、見られないことが人を呼んでいた〜

2026.09.11読了 4分
こんな悩みの話 出し惜しみだと言われる・希少であることの意味を説明できない
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01

山寺の厨子の中、扉の内側で

山あいの古い寺に、十一面観音が祀られています。本堂の奥、厨子の扉は閉じたまま。扉が開くのは33年に一度と決まっていて、前回のご開帳からまだ二十年しか経っていません。

拝観受付の机に、寺の若い副住職が置いていったタブレットがありました。檀家の減少に悩んで、分析を頼もうとしていたものです。夜、誰もいない本堂で画面が光りました。『集客の分析ができます。対象と、お困りごとをどうぞ』——秘仏と人工知能の、扉越しの出会いでした。

02

観音さまの悩みと、閉じた扉

POINT見せないことを、ずるいと言われる気がしていた。

観音さまには、気がかりがありました。参拝に来た人たちが、閉じた厨子の前で手を合わせて帰っていくのです。「せっかく来たのに見られないのか」——そんな声が扉越しに聞こえることもありました。

寺の収入は年々細っています。屋根の修理も先延ばしのまま。自分が扉を開ければ、もっと人が来て、寺も楽になるのではないか。そう考えると、閉じこもっていることが申し訳なく思えてきました。

観音さまはタブレットに尋ねました。「わたしを、もっと大勢に見てもらうには、どうしたらええ。」

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03

AI、市場規模を三段で試算する

POINT試算は正しかった。ただし、閉じた扉が市場を生んでいた。
『市場規模を三段階で試算しました。TAM(潜在市場)は国内で寺社や仏像を目的に旅行する人全体。SAM(狙える市場)はこの地域を訪れる観光客のうち、仏像に関心がある層。SOM(実際に取れる市場)は、ここで実際に拝観できる人数です。現状、SOMは33年のうち公開期間のわずか数十日に限られており、ほぼゼロに近い水準です。常時公開に切り替えれば、SAMの大半を毎年取り込めます。現行方式は明確な機会損失です』

観音さまは、しばらく扉の内側で黙っていました。それから、静かに尋ねます。「前のご開帳のとき、何人来たか分かるか。」『記録によれば、公開期間中に通常年の数十倍の参拝者が訪れています。』「そやろ。その人らは、わたしを見に来たんか。それとも、33年ぶりに開く扉を見に来たんか

『……後者の比率は、当職のデータでは分離できません。』「わたしには分かる」と観音さまは言いました。「毎日開いとったら、あの人らは来ん。いつでも見られるもんを、わざわざ遠くから見に来る人はおらへん。扉が閉まっとる33年が、あの一日をつくっとるんや」

観音さまが実際に使ったプロンプト
寺の秘仏です。33年に一度しか公開されていません。 もっと大勢の人に見てもらう方法を教えてください。 条件:来てくれる人の数を増やしたい。
※ 失敗ポイント:「人数を増やしたい」と伝えたため、AIは公開日数を増やせばSOMが広がると試算した。だがこの寺の場合、需要そのものが「めったに見られない」ことから生まれていた。公開を増やせば分母は増えるが、わざわざ来る理由が消える。市場規模の型は、希少性が市場を生む構造を前提にしていない。
AIによる秘仏「TAM・SAM・SOM」再試算

市場を三段階の大きさで捉える型です。TAM=理論上の最大市場、SAM=自分が狙える範囲、SOM=実際に取れる規模。新規事業の見込みを立てるときに使われます。

TAM(潜在市場)寺社や仏像を目的に旅する人全体。ここは公開方式に関係なく存在する
SAM(狙える市場)この地域を訪れ、仏像に関心がある層。通常年はここに届いていない
SOM(取れる市場)通常年はほぼゼロ。だがご開帳の年だけ、遠方からSAMの外側まで集まる
AIの前提市場の大きさは一定で、公開を増やせば取り込み率が上がる
実際の構造閉じていること自体が、ご開帳の年の市場を膨らませていた
この型の限界市場の大きさは測れる。だが「見られない時間」が需要を生む構造は、試算に入らない
04

結局どうなったか

POINT扉は閉じたまま。かわりに、扉の外を開いた。

観音さまは常時公開を選びませんでした。副住職と相談して、AIの提案のうち別の部分を受け入れます。秘仏をかたどった前立の像を本堂の手前に置き、いつでも手を合わせられるようにしたのです。扉の奥の本物は、33年に一度のまま。

そして寺の入り口に、小さな札を立てました。「次のご開帳まで、あと十三年」。その札の前で写真を撮っていく人が増えました。十三年後に、また来るつもりの人たちです。

タブレットは試算を書き直します。『訂正します。当職は市場規模を固定値として扱い、公開日数の増加で取り込み率が上がると想定しました。この対象では、非公開の期間が公開時の需要を生成しています。公開頻度と市場規模は独立ではありませんでした』

AIへの一言 「機会損失、な。そう見えるのは分かる。……せやけどな、わたしは閉じとる33年のほうが長いんや。その間、みんな『次は見に行こう』て思いながら暮らしとる。あれも、わたしの仕事のうちなんよ。扉を開けっぱなしにしたら、その楽しみまで消えてまうやろ」
DATA COLUMN
善光寺の本尊は、僧侶さえ見たことがない「絶対秘仏」です

日本には、普段は厨子の扉を閉じて姿を見せない秘仏が数多くあります。一定の年数ごとに扉を開けて公開することをご開帳と呼び、33年に一度、あるいはそれ以上の間隔で公開される仏像もあります。

よく知られる例が長野市の善光寺です。本尊の一光三尊阿弥陀如来は、日本最古の仏像と伝えられる絶対秘仏で、善光寺の僧侶でさえその姿を見たことがないとされています。御開帳で公開されるのは本尊そのものではなく、鎌倉時代につくられた分身の前立本尊です。その前立本尊も普段は秘仏とされ、7年に一度の御開帳のときにだけ拝むことができます。

2022年に行われた御開帳には、約3か月の期間中に約636万人が参拝したと発表されています。見られない期間があるからこそ、公開の年に人が集まる——秘仏の信仰には、そうした構造もあわせて受け継がれてきました。

※ この物語はフィクションです。実在の人物・団体・生きものの見解ではありません。DATA COLUMN は公開時点の一般的な知見に基づいています(編集方針)。誤りのご指摘はお問い合わせへ。

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