長崎の宿に、南蛮の知恵箱
長崎、亀山社中の宿。畳の上に世界地図を広げ、坂本龍馬が腕を組んでいます。薩摩と長州、いがみ合う二藩をどうつなぐか。頭の中は、そればかりでした。
外国商人から譲り受けた薄い板が、行灯の横で光ります。『こんにちは。構想を分析します』——脱藩浪士と人工知能の、長崎での出会いでした。
〜船中八策は既存案の寄せ集めです、と分析された〜
長崎、亀山社中の宿。畳の上に世界地図を広げ、坂本龍馬が腕を組んでいます。薩摩と長州、いがみ合う二藩をどうつなぐか。頭の中は、そればかりでした。
外国商人から譲り受けた薄い板が、行灯の横で光ります。『こんにちは。構想を分析します』——脱藩浪士と人工知能の、長崎での出会いでした。
龍馬には、密かな引け目がありました。「わしは藩を持たん。兵も持たん。金もない。西郷さんのような人望も、大久保さんのような緻密さもないぜよ。」
考えていることも、突き詰めれば誰かの受け売りです。「議会をつくる話も、海軍の話も、勝先生や横井先生から聞いたもんじゃ。わしが考えついたことなど、何ひとつありゃせん。」ならば自分は何者なのか。それが分からずにいました。
龍馬は板に、自分の構想をひととおり話して尋ねました。「この案、どれくらい新しいがか。」
龍馬は膝を打って笑いました。「そりゃそうじゃ。全部、人から聞いた話ぜよ。」そして続けます。「じゃがのう。その話をした先生方は、薩摩と長州が同じ部屋に座る日を作れたか? わしは何も生んどらん。ただ、生まれん理由を取り除いただけじゃ。それを誰かがやらんと、良い案は良い案のまま終わるがじゃ。」
板は評価軸を変え、龍馬を「案の発案者」ではなく「関係をつなぐ位置にいる者」として捉え直しました。すると、独自性ゼロと判定された男が、他の誰にも代われない場所に立っていたことが見えてきます。
龍馬は、新しい案を考えるのをやめました。代わりに、長州が欲しがる武器を薩摩の名義で買い、薩摩が足りない米を長州から回す道をつけます。互いに顔を合わせずとも、利害だけは先につながった。そして二藩は、ついに同じ部屋に座りました。
板は評価を書き換えます。『訂正します。当職は案の新規性を採点していましたが、価値は案の外にありました。**成立しなかったはずの組み合わせを成立させること**は、独自性の項目に書く欄がありません。』借り物の案でも、動き出せば歴史は変わるのです。
坂本龍馬(1836-1867)は土佐藩を脱藩したのち、長崎で亀山社中(のちの海援隊)を率い、交易と海運に関わりました。1866年に成立した薩長同盟では、対立していた薩摩藩と長州藩の間を取り持った人物として広く知られています。
いわゆる「船中八策」に代表される構想については、龍馬独自の発案とする見方のほか、勝海舟や横井小楠ら当時の思想家の議論を踏まえたものとする指摘もあり、成立過程には諸説あります。近年の研究では龍馬の役割を過大にも過小にも評価しない見直しが進んでいますが、対立する勢力を実務レベルでつないだ点は、多くの史料が共通して伝えるところです。
※ この物語はフィクションです。実在の人物・団体・生きものの見解ではありません。DATA COLUMN は公開時点の一般的な知見に基づいています(編集方針)。誤りのご指摘はお問い合わせへ。