八月の朝、ショーケースの前で
創業から四代続く和菓子屋の朝は、ショーケースを整えるところから始まります。三代目の女将は、今日も上生菓子を並べ替えていました。夏の菓子を左から順に、涼しげな寒天菓子を中央に。並び順は毎週変わります。
レジ横に、息子が置いていったタブレットが光りました。売上管理のために入れたものです。『陳列と販売データの分析ができます。項目と、お困りごとをどうぞ』——女将と人工知能の、ガラス越しの出会いでした。
〜陳列は科学的に最適化された。ただし、菓子には名前がついていた〜
創業から四代続く和菓子屋の朝は、ショーケースを整えるところから始まります。三代目の女将は、今日も上生菓子を並べ替えていました。夏の菓子を左から順に、涼しげな寒天菓子を中央に。並び順は毎週変わります。
レジ横に、息子が置いていったタブレットが光りました。売上管理のために入れたものです。『陳列と販売データの分析ができます。項目と、お困りごとをどうぞ』——女将と人工知能の、ガラス越しの出会いでした。
気がかりがありました。季節の上生菓子が、思うように出ないのです。よく売れるのはどら焼きと最中で、これは一年中変わりません。それでも女将は、毎週手をかけて意匠を変えた上生菓子を並べ続けていました。
息子には「あれ、赤字でしょ」と言われます。返す言葉がありませんでした。数字の上では、たしかにそのとおりだったからです。
女将はタブレットに尋ねました。「ショーケース、どう並べたら一番売れる?」
女将はガラスを拭きながら聞いていました。それから、下段に移された小さな菓子をひとつ指差します。「これ、名前は?」『商品コードでは”上生菓子A”です。』「竜田っていうんよ。」紅葉の名所の名前がついた菓子でした。「お客さんはな、これを指して”竜田ください”って言うの。そのとき、うちの店は菓子屋やのうて、季節を売る店になるんよ」
売場の見せ方を設計する型です。何をどこに置くかを、視線・動線・在庫回転から決めます。ただし「置く目的」は商品ごとに違います。
女将は上生菓子を中央に戻しました。かわりに、下段のどら焼きと最中の配置は、AIの案どおりに変えます。手に取りやすい高さ、まとめ買いしやすい並び。そこは「売るための棚」だと、はじめて自分で言葉にできたからでした。
そして値札に、菓銘を大きく書き足しました。「竜田」「初ちぎり。」息子が「なんで名前を大きくしたの」と聞くと、女将はこう答えました。「名前がないと、ただの菓子やもん。」その月、上生菓子の販売数は少しだけ増えました。
タブレットは分析を書き直します。『訂正します。当職は全商品を同一の指標で評価しましたが、陳列位置の目的が商品ごとに異なる場合、この評価は成立しません。なお、菓銘の表示による販売数の変化については、当職の予測に含まれていませんでした』
上生菓子は生菓子の中でも特に手をかけたもので、職人がひとつずつ手作業で仕上げ、季節の趣を意匠に取り込むのが特徴です。茶席で用いられてきた歴史があり、茶人に愛されて発展したと説明されます。
特徴的なのが菓銘(かめい)——菓子ひとつずつに付けられた名前です。紅葉を写した菓子には紅葉の名所から「竜田」、柿の形の練り切りには俳句から「初ちぎり」といった具合に、季節や情景を想起させる言葉が選ばれます。菓銘を聞いてから食べることで、味だけでなく季節や景色まで味わう——そういう楽しみ方が受け継がれてきました。
季節の上生菓子は販売期間が限られ、その時期を過ぎると店頭から消えます。売れ筋を通年で置き続けるほうが商売としては安定しますが、期間限定であること自体が季節を伝える手段にもなっています。何を売っているのかという問いに、菓子の名前が答えている例と言えます。
※ この物語はフィクションです。実在の人物・団体・生きものの見解ではありません。DATA COLUMN は公開時点の一般的な知見に基づいています(編集方針)。誤りのご指摘はお問い合わせへ。